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親方錄

この「親方錄」では、親方が今まで造園で培ってきた様々なことを

弟子の山本と四方山話していこうという気持ちです。

 

 

【持田園の成り立ちについて】
山本:親方、持田園は昭和9年に創業とありますが、どういう事だったのでしょうか。
親方:私の父、初代親方が昭和9年に植木屋に奉公にあがった年なんだ。
山本:初代は、昭和9年に植木屋で修業を積み始めたという事ですね。
親方:そう、江戸時代から5代続く "植正(うえしょう)"という植木屋に奉公にあがった。
   昔の植木屋さんのお得意様といえば、大きなお屋敷やお寺、料亭だったそうだ。
   ここで面白い話があって、とある大名屋敷で庭の手入れをやっていたころ、庭内に植木屋
   専用の小屋があったらしい。
   作業中、お殿様が表へ出られるときは庭師らは小屋に引っこんでなきゃならなかったんだと。
   それと、3時のおやつはいつもおまんじゅうで、食べきられないほど出してくれたらしいが、
   食えないときは庭に穴を掘って埋めたんだとさ。
山本:そんなことがあったんですね。
   では、親方のお父さんが植木屋に奉公にあがった年が持田園創業のはじまりということだった
   んですね。

 

【初代親方の時と現在とでは植木屋(造園業)はどう違うか】
山本:造園業界も昔と今とでは、どこか変わったところはあるのでしょうか。
親方:いろいろあるけど、まずは前の質問でも言ったようにお得意様が変わってきているな。
   大名屋敷やお寺、料亭の庭の手入れをしていたが、今では団地やマンション、公共施設や
   工場の緑地管理といった感じになっている。ごくたまにお寺や庭園などの手入れをするが。
   ここでまた、話が変わってしまうが初代親方の時、料亭で手入れするときは3時間ほどしか
   手入れができなかったらしい。
   というのも、料亭は夜が遅いので昼間あたりから作業をし、準備が始まる15時までには切り
   あげなければいけなかったんだと。その短い作業時間の中でも庭木は一枚一枚葉を拭いて、古
   葉引きをして、苔の間の草引きも稔を入れて常にきれいな庭にしていたんだ。
 

 

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